アトラス・オーソゴナルの世界 Vol.04「Atlas Orthogonal誕生」

The Road to Atlas Orthogonist  Vol.04

Atlas Orthogonal誕生

1970年代、アトランタでのセミナーからGrostic夫人が理事から退くと、Dr.Royが代表となり、名称をSocietry of Ortho Spinologyと改め、活動を続ける事になりました。

Dr.Royは、グロスティックセミナーの講義を経て後、自身主催のセミナーを20年余り続ける中で、グロスティックテクニック習得を志す多くのカイロプラクターの前に大きな壁が常にあることを実感していました。
それこそが今日のアトラス・オーソゴナルを創始する原動力となっていくのですが・・・

レントゲン撮影とその分析、さらに正確無比な角度からアトラスをアジャストすることで、はじめて理想的な治療効果を得ることが出来るグロスティックテクニックでは、そのうちの一要素でも欠けると思い描く効果が得られません。
多くのカイロプラクターは少なくとも5年から10年かけてテクニックを習得するのですが、途中で関節炎や腰痛を起こして諦めてしまうカイロプラクターも少なからず存在し、またその年月を費やしてもハンドアジャストを習得出来ないカイロプラクターもいます。
その間に治療を受ける患者のことも考え、Dr.Royはアジャスト装置の開発は必須という大きな決断をすることになりました

私自身、本物のカイロプラクターを目指し、渡米した一人として、手技、ハンドアジャストではなく、装置を用いることには当初少なからぬ抵抗があったのも事実です。
そのアジャスト装置の開発を1970年代に着手したDr.Royへの反発は想像を超えるものだったと、当時を知る名だたるカイロプラクターから聞いたのは一度や二度ではありません。
アジャスト装置開発は臨床の合間を縫って有志のカイロプラクターと共に行われ、1981年にAtlas Orhtogonality programを創始しました。
以来、Dr.Royは「ハンドアジャストを一切行わない、行う必要がない」と明言し、92歳の今も現役で臨床にあたりつつ、ライフ大学では選択科目であるAO講座の教鞭を取っております。

現在、我々がアトラス・オーソゴナル”AO”を語る上で、Dr.Royの苦難と功績を決して忘れてはならない。

Vol.05へ続く

 

~今日の1枚~
Dr. Roy W. Sweat
Dr.Royから頂いた写真は、初回講座からアトラス・オーソゴニスト育成講座をずっと見守っています。

記:井上裕之

 

2020-04-23 | Posted in AOの世界No Comments » 

関連記事

Comment





Comment