アトラス・オーソゴナルの世界 Vol.05「本場アメリカ」
The Road to Atlas Orthogonist Vol.05
本場アメリカ
第5話となる「AOの世界」、先ずはAOJメンバーの要望に応えて、AOに出会うまでの私の道のりから始めます。
世界中で厳しい状況が続く中、少しでも皆さんの励みになれば嬉しく思います。
カイロプラクティックとの出会いは高校1年16歳の時、多くの治療家がそうであるように私自身の怪我がきっかけです。小学校入学前からサッカーチームに所属し、蹴球一筋でした。私がサッカーを始めた頃はまだJリーグが始まる前ですが、将来の夢はプロサッカー選手と意気込んで、高校でも迷い無くサッカー部に入部しました。(パーマー大学でも入学前からサッカー部に所属していました。)
しかし、入部早々から怪我に悩まされる日々が続きました。全国各地から選び抜かれた部員のプレーを目の当たりにして、「プロへの道は厳しい」と目標を失っていた頃、カイロプラクティックに出会ったのです。
高校1年生の思いつきでしたが、幼少期から抱き続けた夢を失い、何かを求めていたのでしょう。「カイロプラクティックの技術で同じ境遇の次世代の人の役に立てるのでは」と考えるようになりました。
高校卒業後カイロプラクターへの道を目指しましたが、日本でのカイロプラクティック教育の環境は自分の求めるレベルに遠く及びませんでした。また当時のバブル真っ盛りの風潮にも違和感を覚え、ただ悶々と納得のいかない授業に通う日々が続きました。
そんな頃、複数の手技を学んだ後、カイロプラクティック習得を志すある先輩に出会いました。年齢もそれほど変わらない彼から、心に残る貴重なアドバイスを幾つももらいました。
特に、「本物を目指すなら、本場アメリカのカイロプラクティックを体験すべき」と強く勧められ、この目で本物を確かめるべく留学中の友人宅に半ば転がり込むように、真夏の7月、西海岸のロスアンゼルスに約3週間ほど滞在することにしました。
Vol.06へ続く
~今日の1枚~
ダベンポートの小学生にサッカー指導、パーマー大学入学前の1コマ。
地元の子供達に接する貴重な体験で、この人脈が後のパーマークリニック研修生時代には大変役立ったのでした。
また、授業や試験勉強でもパーマー大学サッカー部員の協力は大きな支えになりました。
記:井上裕之