カイロジャーナル第73号掲載記事

カイロジャーナル第73号(2012年2月29日発行)より

井上裕之DCに聞く
翻訳本携えて 日本でAO普及の足がかり

 昨秋、アトラス・オーソゴナル(AO)のバイブル的テキスト、上部頚椎の貴重な写真が多数紹介されている関連テキストの2点が出版された。翻訳したのは日本のAOの第一人者、井上裕之DC。井上氏はこの本を携え渡米、ロイ、マシュー、テクラのスウェット・ファミリーに手渡し、日本での今後の活動を誓った。スウェット・ファミリーは全面的な協力を約束、日本における今後の健全な普及の足がかりとなる。今回は井上氏に、本ができた感想、AOにかけたカイロプラクティック人生、今後の活動の内容について聞いてみた。

本当に学びたい人のために勉強会

斎藤 本をロイに見せたときの写真を見せていただき、つくづく作ってよかったと思っています。本ができた感想はいかがですか?
井上 皆さんの、というか特に斎藤さんのお陰で完成させていただいて、正直あそこまでいいものができるとは思っていませんでした。パーマーを卒業してロイのところに行ったときから、いずれは日本でしっかりとAOを普及させてほしいと言われていましたが、普及させるにはその土台がないと何もできない、テキストはその一番基になるものですから、いつかは作りたいとずっと思っていました。卒業してから十数年かかってしまいましたがお陰様でなんとか形になりロイに見せたところ、すごく喜んでくれて太平洋の向こう側でも本物のAOを普及させてほしいと、また言われて帰ってきました。
斎藤 これまでいろんなお話をしてきて、ロイが「この本の表紙に井上裕之と印刷されることが、日本でAOをやっていくステイタスになる」と言っていたことをお聞きしました。井上さんが船堀(東京都江戸川区)の今井先生のところにいるときから、いつか本物のAOの本が出せたらいいなとずっと思っていました。それができたので今度はこれからということになると思うんですが、今描いているビジョンをお聞かせいただけますか?
井上 本ができたということは、教えるシステムができたということで、そうなると今度はAOの装置もしっかりしたものを皆さんに提供していかないといけないし、今後の一連の流れの中で、春にAOを紹介するイベントを開けたら、と思っています。その後は本当にAOをやりたい人、少人数だと思うんですが、アメリカでもAOを学ぶ人はそれほど多くはありませんので、本当に望む人たちを地道に本物のアトラス・オーソゴニストに育成したいと思っています。そのプログラムの一環として年に数回アトランタで上部頚椎メインの解剖実習があるんですけど、そこに連れて行ってあげて、実際見たり触ってみたりしないと分からないことってたくさんありますから、それは絶対にしたいですね!

マシュー(一番左)、ロイ(左から3人目)、テクラ(同4人目)のスウェット・ファミリーに囲まれる井上裕之DC。この日は自身が翻訳した本を手渡した。

斎藤 勉強会の具体的なイメージは?
井上 細かい作業になってきますので、かなり少人数で行わなければならないというのが第一点。アメリカでもそうなんですが、1回取ればわかるというシステムではないんですね!レントゲンの撮り方一つでもかなり特殊になりますので、パーマーのクリニックでも上部頚椎のテクニックを幾つかエレクティブで使うんですけど、AO、グロスティックについては学生が自分でセットして自分で撮らなければいけないんです。それくらい技師でもわからないようなことを伝えなければならないので、おそらく何度か同じクラスを取って使えるようになってもらう。私自身そうして自分のものにしたところがありますので、1回取れば終わりということではなく、毎年進化するわけですから何回か受けて身につけてほしいですね!常に改善しながら良いネットワークを築ければと思って、普及活動というか教育活動をやっていきたいと思っています。

アメリカに行くと必ず新しい発見

斎藤 アメリカはシステムができていて、1回目200ドル、2回目はその半分という風に何度も取るわけですけど、日本では同じことを何度も学ぶということはなかなかしませんよね?
井上 私自身、卒業してから十数年経っているんですけど、今でも少なくても年に1回、多いときだと2、3回、セミナーのためにアメリカに行っています。行くと必ず新しい発見があるんです! 1年臨床をすると1年分の学びがあって、5年だと5年分! 確かにアメリカはシステムとして受けなければならないという部分もありますけど、30年、40年プラクティスされている先生が学生と同じように受けるんです。その中で交流が生まれ、新しい発見があるんです。そんなシステムが日本でもできればいいなと思っています。
斎藤 それをAOジャパンで実践できたらいいですね! 学ぶ、教えるというより、そこに集まると何か発見ができて、自分たちでやっていることをさらに深くやっていこうという風になっていく、そのようになったらいいですね。
カイロを知った頃、もちろん私より年上の方たちが貪るように学んでいる姿を見て、私もずいぶん触発されたものです。今は見かけなくなりましたが、1回や2回で身につくんですかね? 自分たちが理解してるかどうかさえ分からないのでは話になりませんからね! 自分の好きな、懸けたものぐらいはしっかりやってほしいものですけどね!
それから、AOテーブルのことなんですけど、安定供給していかなければならないと思うんですが、ロイとの相談でなんとかやっていけそうなんですか?
井上 住宅事情から言っても日本とアメリカには大きな違いがあります。AOのテーブルは他のテーブルと比べてもかなり大きいので、日本で使えるような形にして普及していこう、その辺もロイと相談しているところなんです。
斎藤 もう具体的に進んでいるということですね!
この辺でちょっと時代をさかのぼりまして、私、井上さんが留学する前、10代の頃にお会いして何かずいぶんエラそうなことを言ったそうですが、全く覚えていません。本当に申し訳ありません。

良いこと伝えなければ意味がない

井上 ハハハ、今もそんなに変わったこと言ってないですよ!
斎藤 そんなに、ですか?
井上 ただ「いい加減な、中途半端な気持ちだったら行かないほうがいい」と言われたことをずっと覚えてて、それが留学時代、卒業したらという糧になりました。ですから、そんなに気にせずに。
斎藤 ありがとうございます。帰国してからのことをお聞かせいただけますか?
井上 まずアメリカでもAOはそんなに一般的なテクニックではないので、環境的に日本で根づくか、自分自身でも正直疑問があったんです。でも、自分が良いと思ったことを人に伝えなければ、アメリカまで行った、パーマーで学んだ意味がないと思い、AOを選んで帰国したわけです。人に伝えるということで言えば、まず自分が臨床として使って、確実に患者さんに理解してもらって、またその人が患者さんを紹介してくれるというようなことで回らないと、人に伝えることはできないと思ったんです。なので、一切宣伝とかをせずにクチコミで、でも確実に患者さんがついてきてくださっています。お陰様で私のところの患者さんはAOを理解してくださっていますので、こういう環境を日本でも少しずつでも広めていきたいと思っています。
斎藤 AOジャパン、期待しています。今日はどうもありがとうございました。

2018-06-07 | Posted in 掲載記事No Comments » 

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