アトラス・オーソゴナルの世界 Vol.14「パーマー大学卒業」

The Road to Atlas Orthogonist  Vol.14

パーマー大学卒業

初めて受講したDr.Roy Sweat のAO講義は私の一生を決定するほどのもので、今でも鮮明に思い出せます。
当初は、ハンドアジャストではないAOが、これまで私が心血を注いだ上部頚椎テクニックのクオリティを上回るのかどうかを確認できなければ、すぐにでも教室を退出する覚悟でした。

誰よりも早く入室、最前列で必死に受講、そして気付けばこれまで学んだ知識を基にカイロプラクティック業界を牽引する第一人者のDr.Royを質問攻めにしていました。
Dr.Royにとっては迷惑な行為だったと後になって反省しましたが、同席した学生の多くは様々な上部頚椎セミナーを一緒に受講した仲間であり、ほぼ全員が私の状況を理解してくれ、非難するどころか、むしろ背中を押してくれるような不思議な感覚でした。
そして、その一つ一つの質問に、Dr.Royは親身になって答えてくださいました。

最終日のセミナー終了後、Dr.Royの元へ行き、感謝とお詫びの気持ちと共に、これまでの経緯を伝えると、その場で卒業後のアトランタでの研修に誘われました。
初対面から2日目の出来事ですが、人生の大きな転換を実感した瞬間でした。

学生クリニック時代はAOを含めさまざまな上部頚椎テクニックを駆使しながら、幾つかのボランティア活動も経験しました。

アトランタオリンピックでは、サッカー決勝会場スタッフとして世界トップレベルの選手の活躍を同じフィールドで目の当たりにし、とくにアフリカ勢の身体能力の高さに度肝を抜かれました。

また、教授2名、学生3名という発足して間も無いクリニックアブロードプログラムでハイチ共和国を訪れる機会もいただきました。

無秩序な森林伐採で流された土砂によって荒れ果てた未舗装路、バスに乗るお金、靴を買うお金すらない人々は早朝から何時間も裸足で治療会場にやってきていました。

猛暑の中、行列を作り静かに順番を待つ現地の人々のため、約1週間を寝食の時間を惜しんで地元ボランティアと共に過ごし、私は連日数十名をターグルリコイル中心の施術に専念しました。

同行したパーマー大学クリニック部長は、ご自身もAOを実践する上部頚椎の良き理解者であったことも大変幸運でした。

インターン期間も、パーマー入学前からサッカー部に所属していたお陰で地元住民や部活先輩からの患者紹介の協力もあり、選択した上部頚椎を主軸に研鑽を積み、97年にパーマー大学を卒業し念願のD.C.となりました。

 

Vol.15へ続く

 

~今日の1枚~

待合室に飾られるパーマー大学卒業写真、来院者が一生懸命に私を見つける姿をみるのも楽しみのひとつ(笑)何処にいるか分かりましたか?
真中の「100」は、パーマー開校の1897年から百周年記念のロゴマーク、卒業からもうすぐ四半世紀になります。

 

記:井上裕之

2020-09-24 | Posted in AOの世界No Comments » 

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