アトラス・オーソゴナルの世界 Vol.13「実践への壁」
The Road to Atlas Orthogonist Vol.13
実践への壁
パーマー大学では、1年間に受講する約90単位のうち1単位でも落とすと昇級できません。
ですので、1年目は週末のサッカー以外は常に机に向かい、テクニック講義が始まる2年目からは大きな体のアメリカ人学生相手に、アジャスト練習に明け暮れました。
3年目、やっとインターン生活に入り、いよいよ実践が始まる頃、私自身の身体が悲鳴をあげました。座骨神経痛を発症し歩行すら困難な状態になってしまったのです。
その頃には、上部頚椎を究めるためにインターンで所属するクリニックも決めていたこともあり、何の迷いもなく自分の身体を上部頚椎オンリーで完治してみせると意気込んでいました。しかし、身体は完治どころか歩行にも支障をきたすほどで、患者をアジャストする事など不可能な状態でした。
この時期、アメリカで手技一本で上部頚椎テクニックの習得に全てをかけていた私は、クリニックで装置を用いてアジャストを行う上部頚椎テクニックであるAOを学ぶか、カイロプラクターへの道自体を諦めるかという、身体の痛み以上に苦しい決断を迫られていました。
パーマー大学には卒業後すぐ開業する学生も多く、付属クリニックでは昇級や卒業に必要な患者数、初診検査数、レントゲン撮影及び診断を含め、実際の開業を想定した厳しい規定条件があり、全てを満たさなければ卒業は認められず、卒業を目前に留年する学生もいるほどでした。
大学付属クリニックでは自身の選択するテクニックを得意とする担当ドクターのもとでのインターン経験を積むことになります。
私の在学時には付属クリニックはキャンパス内に3部署(3モジュール)、他にミシシッピ河を挟んだイリノイ州に1部署、合計4箇所あり、それぞれ専属の担当ドクターから指導を受けることができました。
所属したクリニックのモジュール#3は、主に上部頚椎に特化した部署で、学生数はインターン全体からみると1割にも満たないくらいでした。しかし学生、教授陣共に上部頚椎への拘りが強く、個性的なメンバーが集まる部署でもありました。
インターン修業に必要とされる患者数を満たすことは簡単なことではなく、特に留学生にとってはさらにハードルが上がり、技術的に問題がなくても、患者を集めることに苦労する学生も多くいました。
この頃には同級生達は白衣とネクタイ着用が普段着となり学生からドクターへと顔つきも変わっていきますが、私ひとり次のステージへの大きな壁にぶつかり、思案の末インターン期間を迎える直前にDr.Roy Sweatと対面することになりました。
Vol.14へ続く
~今日の1枚~
白衣の胸元に付けるバッジ、多くの学生は自身のテクニックや拘りをココで表現していた。
パーマークリニックでは、名刺の肩書きは「STUDENT EXTERN」(本文中では一般的なインターンと表記)と記される。
記:井上裕之