アトラス・オーソゴナルの世界 Vol.07「Davenport IOWA」
The Road to Atlas Orthogonist Vol.07
Davenport IOWA
アイオワ州パーマー大学を選択した一番の理由は何よりも「周辺地域の日本人の数」でした。
夏に訪れたロスアンゼルスで驚かされたのは、アメリカのカイロプラクティック大学の恵まれた教育環境や、そこに居住している留学生の数の多さでした。
そこで出会った日本人の多くは英語学校に通う留学生でしたが、彼らが学校以外で英語に接する機会はほとんどなく、留学するなら先ずは「英語漬けの環境」が重要だと痛感。
全米での大学周辺の日本人の数を調べるうちに、アイオワ州ダベンポートは日本人が圧倒的に少ないことがわかり、この地に決めることにしました。
1990年の大晦日、アイオワ州を目指して片道切符でワシントン州シアトルからアメリカへ入国。ミネソタ州ミネアポリスを経由して降り立ったアイオワ州は、これまで経験したことのない極寒の地、私の知っている唯一のアメリカである夏のロスアンゼルスとは正反対の別世界でした。
ロスアンゼルスでは毎日晴天が続き、アクティブにスポーツを楽しむ健康的な人々を街の至る所で見ることが出来たのに対し、冬のアイオワは鉛色の空の下、外出は命の危険があるほどの寒さで、街で人を見ることさえないような環境。とても同じ国とは思えない現状にショックを受け、改めてアメリカの大きさを思い知らされた瞬間でした。
カイロプラクティック大学は、入学前に必須科目の単位取得が必要です。パーマー大学と提携するScott Community College (SCC)の英語習得講座で、一定レベルの英語水準を満たしてはじめて必須科目の受講を認めらます。それは渡米しても英語が習得できなければ、必須単位すら取得できないという現実でした。そこで一切の日本語を断ち、「英語だけで生活すること」を決意しました。
そのかいもあって、渡米後1ヶ月経つ頃には、ほとんどの日常会話を聞き取ることができるようになり、3ヶ月後には、冗談を交えての会話も可能になったのですが、そこに至るまでは簡単なものではありませんでした。
Vol.08へ続く
~今日の1枚~
学生寮部屋からの眺め、
ダベンポート住民になった直後、留学生活最初の写真。
大河ミシシッピを遠くに見ながら英語に明け暮れる日々でした。
記:井上裕之